生きにくいけど生きるしかない妙齢女

1992年生まれ。これといった特徴もなく平凡な人生を歩んでまいりました。生きにくいなぁと思いながら幸せを求めて奮闘する日々を綴ります。

社会人になった途端色あせて見える自分の未来との向き合い方。

 

こんにちは、ラムネです。

 

私は小さい頃アイスクリーム屋さんになりたかったのです。

サーティーワンアイスクリームのようにアイスをすくうのに憧れました。

あの色鮮やかなアイスを奇麗な球体にする作業に憧れました。

これは幼稚園の時の将来の夢です。

 

小学生になった私は既に何になりたいかなんて将来の夢は無くなっていました。

アイスクリーム屋さんなんて候補に挙がることもありません。

 

親に言われたか、どこかの誰かが言っていたからか

先生になりたいと適当に言っていたこともあります。

 

周りの男子はプロ野球選手やサッカー選手と輝かしい夢を語りましたが

どうせ叶わないのだろうなと心のどこかで思っていたような気がします。

小学生の時点で既に現実を知り始めていたのだと思います。

 

しかしどこかで、将来はずっと遠くにあって

想像も出来ない未来が待っているのだと信じている部分がありました。

 

中学、高校、大学、これを経て大人になる。

数字にすると約10年という時間。

しかし、行動しなければ何かが劇的に変わるわけでもありません。

 

普通の大学に行って普通の大学生活を送った結果

何の変哲もないサラリーマンへと変身していました。

 

目覚まし時計に起こされて、

憂鬱な気分を何とか振り払い仕事をしてクタクタになって帰る毎日。

あと何年こんな未来続くのだろう。

今後起こるイベントは一体何だろう。

結婚?出産?あれ、私ってなんのために生きているのだろう?

こんな混沌とした考えを繰り返しました。

 

高校を卒業すれば、新しい大学生活が待っている

大学を卒業すれば次は社会人、こんな風に人生の転機が数年に一度あったのに

社会人になれば、この後の人生の大きな転機は無くなるのです。

そこで初めて自分のつまらない人生の全貌を見た気がして

急に面白く感じられなくなりました。

 

人生が急に色褪せて見えたのです。

 

考えてみれば、

私の行動は何者にもなろうとしなかった行動そのものでした。

 

こんな風に生きたい、こんな事がしてみたい、

そう思って行動すれば未来はもっと面白くなるのではないかと考えました。

 

例えば、運転がしたいと思って免許をとりました。

免許を取るにはこんな風にステップを踏みます。

①情報収集する(近くの教習所を探す・価格比較をする等)

②資金を用意する

③実行する(教習所に入る)

こんな事誰でも出来る事です。

 

なぜ誰にでも出来るのか。

それは誰もが免許を取るという目標の達成の仕方を知っているからです。

 

私たちはやり方を知ってさえいれば

達成出来るものと思って行動することが出来るのです。

 

これはどんな事においても同じでだと思います。

(もちろん才能が必要なスポーツや芸術などの特殊な世界は例外です)

 

しかし、ずっと遠くにあると思っていた理想の生き方も

このステップを確実に踏めば夢物語ではないのかもしれません。

 

私は社会人になって世間の現実を知り未来に失望しかけました。

しかし、大人になった今だからこそ

何もイメージ出来なかった小学生の頃とは違い

現実的に、沢山の可能性を感じています。

 

大人だからこそ現実的に夢を見ればいいのだと思います。

実際に色んな事を可能にしてきたのですから。

 

今こうして働いているのも

履歴書を書いて面接をして行動した結果なのです。

 

もしかしたら、自分はもっと沢山の可能性をもっているのかもしれない。

 

具体的に何がしたいか分からない人は

自分が本当に好きな事を楽しむ中に何か可能性があると思います。

 

能天気ほど強い武器はないのかもしれない。

失望するのはそれからでも良いかなと思っています。

 

自分の未来は今日の行動がつくる。

未来が待っているのではない。

今日の自分が未来をつくっていく。

 

そう考えればちょっと色鮮やかな世界になる気がします。